野地秩嘉著「渡辺晋物語」に真理ちゃんの記述が (2) 財界人が集まる「歌う会」で真理ちゃんバックコーラス

1972年渡辺氏の広尾自宅での誕生日パーティー 野地秩嘉著「渡辺晋物語」より

 引き続き「渡辺晋物語」の内容を見ていく。渡辺氏は芸能プロダクションの社長には珍しく財界人とのつきあいを重んじていた。芸能という職業の地位の向上を目指していたこともその要因であったという。ソニー盛田昭夫氏が1974年に結成した財界人の勉強会のKSK(経済社会研究会)に渡辺氏はすすんで参加したという。

 また、渡辺氏はヤクルト社長の松園尚巳氏といっしょに財界人が集まる「歌う会」を始めていた。会場は渡辺氏の広尾の自宅であった。歌のバックはカラオケではなく、生のピアノ伴奏。それも、宮川泰氏、猪俣公章氏、平尾昌章氏といった一流の作曲家を使い、司会は高橋圭三氏であったという。

 そして、バックコーラスはなんと真理や小柳ルミ子氏が担当したこともあったという。KSKよりも「歌う会」の方の人気が上がり、噂を聞いた本田宗一郎氏も顔を出したという。